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クオリアの問題点

クオリアとは科学的にどのようなことをさすのでしょうか。


視力の良い人とそうでない人では見えている『もの』に違いがあることは容易に想像できる。これは何を意味するかというと同じ『もの』を見てもそれを脳に伝えるセンサーに個人差があるということである。当たり前に過ぎるが、二人の人間の脳に全く同じ情報を伝えることは不可能である。

では一体いくつのクオリアが存在するのであろうか。昨日なめた砂糖と今日の砂糖ではクオリア(「甘さ」)に違いが存在するであろうか。厳密に言えば、何一つとして同じ『もの』は存在せず、『クオリア』は無限に存在するとも言える。

ここから『クオリア』の核心(問題)に話を移す。一例として赤緑色盲の人を挙げる(この人達は日常的には支障をきたすことなく社会生活を営むことができ、健常者となんら変わりはない。ただ、色盲の程度がかなり強いと自動車の運転が許可されない場合がある)。色盲であるかを判定する簡易な方法は青色のバックグラウンドの上に赤色で文字を書きその文字が読み取れるかをみることである。赤緑色盲は赤色と緑色を識別できないということであるが、もし赤色と緑色を逆に認識している人がいたらどうだろう。つまり普通の人が赤色に見えるものが、この人達には緑色に見えるのである。普通が緑色に見えるものを見たとき赤色に見えるのである。赤緑反転以外はなんら健常者と変わりないこの人達を探し出す方法はあるだろうか。

もう一つ例を示す。大きな家電量販店へ行くと所狭しと大型テレビが並んでいる。よく観察すると微妙に映り方が違う。あるものはクッキリとしていて、またあるものは濃厚な発色をしている。中には少し赤みがかったものもある。同じ情報を再現しているにも拘らず、その映像が微妙に異なる。では、我々の頭の中で描かれる映像はどうであろう。個人差があるだろうなとは想像できるが、はっきりと比較することが出来そうもない。なぜか。この問に対する回答が『クオリア』という言葉を敢えて使用する理由の一つなのである。

人間社会の意志疎通は共通認識を元に成立している。ある『もの』を「A」と呼ぶことに決めたら、次に同じ『もの』が現れた時、それを「A」と呼べることが共通認識を持ったことになる。これは頭の中に、ある『もの』のイメージ(情報)とその名称「A」が互いに結び付いた形で刻み込まれているからである。しかし頭の中に刻み込まれたある『もの』のイメージは外部からは見ることが出来ない。本人だけが感じる『もの』であり、それを表現するときは「A」となってしまう。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月21日 19:25に投稿されたエントリーのページです。

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